薩摩の大久保利通が暗殺された紀尾井坂を訪ねました。
東京の千代田区、永田町の街角に、
閑静な公園があります。
その中心部に、
何やら物々しい一角が。
奥へ進むと、
木々の間から、巨大な石碑が姿を現しました。
石碑には「贈右大臣大久保利通哀悼碑」の文字。
ここで大久保利通は刺客に襲われ、生涯を閉じました。
以下、碑の近くに建つ説明書きから。
---------------------------
明治11年5月14日朝、麹町清水谷において、
赤坂御所へ出仕する途中の、
参議兼内務卿大久保利通が暗殺されました。
現在の内閣総理大臣に匹敵するような
立場にあった大久保利通の暗殺は、
一般に「紀尾井坂の変」と呼ばれ、
人々に衝撃を与えました。
また、大久保の同僚であった明治政府の
官僚たちの間からは、彼の遺徳をしのび、
業績を称える石碑を建造しようとの動きが
生じ、暗殺現場の周辺であるこの地に、
明治21年5月「贈右大臣大久保利通哀悼碑」が
完成しました。
「哀悼碑」の高さは、台座も含めると
6.27メートルにもなります。
石碑の材質は緑泥片岩、台座の材質は、
硬砂岩と思われます。
「贈右大臣大久保利通哀悼碑」は、
大久保利通暗殺事件という衝撃的な
日本近代史の一段面を後世に伝えつつ、
そしてこの碑に関係した明治の人々の
痕跡を残しつつ、この地に佇んでいます。
平成5年3月 千代田区教育委員会
---------------------------
冷徹な宰相のイメージが強い大久保利通。
しかしその素顔は、
私欲を捨てて日本に身を捧げた政治家でした。
彼が長生きしていたら、
違った日本になってかも知れませんね。
(権限が彼に集中しすぎたのは否めませんが。)