年末に西日本を3泊4日で貫いてきました。
青春18きっぷを使った、史跡・寺院を巡る旅。
1日目は、東京から夜行バスで京都へ。
その後、JRを乗り継いで広島の鞆の浦へ向かい、散策。
散策後はJRで下関まで移動し、宿泊しました。
[22:15 有楽町駅]
夜行バスの京都行きに乗車。
節約のためにグレードの低い2列シートを選択。
案の定、狭くて浅い眠りしか得られませんでした。
[05:20 京都駅]
東京から約7時間、バスは定刻通りに京都駅に到着。
[05:44 京都駅]
ここからは青春18きっぷを使ってJRで移動。
京都線快速の姫路行きに乗車して、広島方面を目指します。
[08:01 姫路駅]
山陽本線の岡山行きに乗り換え。
[09:30 岡山駅]
山陽本線の三原行きに乗り換え。
[10:40 福山駅]
広島県の福山駅に到着。
京都駅を出発してから、約5時間が経過。
夜行バスでの睡眠不足を取り返すため、移動中はほぼ寝てました。
ここから瀬戸内海方面へ向けて路線バスで移動します。
[11:10 鞆の浦バス停]
今日の目的地、鞆の浦に到着。
雨模様のなか、散策スタート。
バス停から歩いて5分、石垣の上に寺社が見えてきました。
細い坂道を上って寺社を目指します。
はじめの散策スポットがこちら「福禅寺 対潮楼」。
こちらで瀬戸内海の景観を楽しみます。
「福禅寺 対潮楼」の説明書きがこちら。
江戸時代、朝鮮からの使者が立ち寄ってたそうです。
中に入るとこの眺め。
瀬戸内海を一望できます。
楼内にはこんな写真が飾られていました。
国民的アニメの主人公も過去に来訪しているようです。
サザエさんが眺めた景観を、20分ほどゆっくり鑑賞。
島と本島との間を船が走ってました。
あとで乗ってみよう。
対潮楼を後にして、細い小路を抜けると、
船着き場が視界に開けました。
こちらが鞆の港。街の中心部です。
鞆の浦は瀬戸内海の中央に位置し、潮の干満の分岐線にあたります。
当時の瀬戸内海での航法は、潮の流れに乗るものでした。
このため干満の分岐線にあたる鞆の浦は「潮待ち」の港として栄えたそうです。
向こう岸には、船の目印となった「常夜燈」と、江戸時代から残る蔵が見えました。
こちらは古くから残る「雁木(がんぎ)」です。
干潮と満潮で水深が変わっても、積み荷の荷下ろしに対応できる階段状の造りです。
街中には船の往来で栄えた当時を偲ばせる船具屋が残り、今も営業中。
雨で光った石畳を進むと、
先ほど向こう岸に見えた蔵に到着しました。
こちらは今、「いろは丸記念館」として営業されています。
1867年、坂本龍馬の海援隊が操縦する船「いろは丸」に、
紀州藩の船が衝突したのが鞆の浦近海。
談判が鞆の浦で行われたことから、記念館が設立されています。
館内には近年の海中調査で発掘された、
いろは丸の部品(と思われるもの)等が展示されていました。
続いて、階段を上って、
歴史民俗資料館を観覧しました。
瀬戸内海を行き交う船と鞆の浦の関係性を示す資料などが展示されていました。
歴史民俗資料館から鞆の港をを臨む。
港を囲むようにして家屋が建っています。
資料館を後にして、海側へ。
先ほど対潮楼から見えた船に乗るため、渡船場にやってきました。
乗る船がこちら。
その名も「平成いろは丸」。
衝突されそうなネーミングです。
対岸にある仙酔島まで往復10分、240円の船旅です。
綺麗な船内。
平成いろは丸は、2010年から運行されているそうです。
仙酔島へ到着。
私以外の乗客は全員降りて散策へ。
私は乗船したままUターン。
先ほど対潮楼から眺めた景観を間近に見つつ戻りました。
鞆の浦は古い街並みが残るしっとりした雰囲気。
雨模様のおかげで石畳が輝いていて印象的でした。
[13:58 鞆の浦バス停]
路線バスで福山駅へ戻ります。
さらば美しい街、鞆の浦。
[14:34 福山駅]
ここからJRによる移動を再開。
山陽本線の三原行きに乗車して、下関へ移動開始。
[15:14 糸崎駅]
山陽本線の南岩国行きに乗り換え。
[17:45 岩国駅]
山陽本線の下関行きに乗り換え。
[20:54 下関駅]
下関に到着。
今日のJRによる移動時間は11時間くらい。
明日も早くから行動するので、さっさと就寝しました。
(明日は下関の街を巡ります)