土曜日は正岡子規が晩年を過ごした家、『子規庵』 へ行ってみました。
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺、を生んだ俳人。
俳句、日本語のあり方に革新を与えた人です。
晩年の7年間は、結核に苦しみ34歳とい若さで亡くなりました。
その後は上野で友人、後輩と15時から飲みました。
東京は鶯谷駅を下りて、ラブホテル街を5分くらい歩くと子規庵に辿り着きます。
鶯谷駅の周りはラブホだらけ。
ふつーの玄関。
中に入って500円払って見学します。
ガラガラっと開く引き戸って好きだわー。
屋内は撮影禁止なので、屋外から撮りました。
右側が子規が病と闘いながら言葉を紡ぎだした部屋。
その部屋での一枚。
病が進行すると、子規は次第に起き上がれなくなり、横になりながら創作したそうだ。
窓の外に映る、もう自分の足では行けなくなった世界。
近いようで遥か彼方にあった庭を眺めながら、子規は少ない余命を言葉に傾けたんでしょう。
私もこの部屋の奥に座って、子規の眺めた景色をじっくり記憶に残しました。
子規庵を後にして、上野へ。
友人、後輩と新年会をやりました。
まずは友人と合流し、15時から 『大統領』 という居酒屋で飲みました。
凄い賑わい。
上野は引き出し多いなー。
いろんな文化が混じりまくってたよ。
その後、後輩と後輩の嫁が合流。
後輩は、最近任される仕事が多くて疲れてるって愚痴めいてた。
嫁さんもそれを心配してた。
なんか、昔の自分を見てるようだった。
だから 『これを乗り越えたら成長できるぞ、だから頑張れ』 って伝えたよ。
最近 ”頑張れ”って言う&言われるのが辛いという人が多いみたいだけど、
俺は頑張れる奴には頑張れって言いたい。
じゃないといつまで経っても新しい世界は拓けないと思うから。
そしたら後輩も元気になってきて 『いや僕はですね~』 とか生意気に言ってきやがった。
いい傾向だ。どんどん前進して欲しい。
終盤には、後輩の嫁が 『旦那がこんなに沢山話したの久しぶりだー』 って喜んでた。
いい傾向だ。一緒になって頑張れよって思ったよ。
(俺も歳とったなぁー)